SSブログ

古地図から [地域]

kotizu.jpg
奈良時代、養老(717~724)の頃に地図である。今から1300年ほど前の濃尾平野はほとんど海だった。当時伊勢湾は西は養老山地のふもと、北は大垣、穂積、西は瀬戸の奥まで入り込んでいて、今の名古屋城から熱田まで半島のように海に突き出している。一宮の中島、枇杷島、津島は「島」が付いているように本当に島で当時の伊勢湾に点在している。港を意味する「津」が付く、瀬戸の赤津や僕と同じ名前の穂積の「生津」はまさしく港だったのだ。天白川、香流川、矢田川、庄内川、木曽川、長良川はそれぞれ深く入り江になっていているのがわかる。
今の尾張のほとんどの土地は元は海で、それぞれの河川が運んできた土砂が堆積してできたことが良くわかる。1300年の時間は地球の歴史からすればほんのわずかな時間だろうが、こんなにも地形を変えるとは、びっくりなのだ。

地名はその土地の歴史を語ることは周知の通りで、大阪の梅田は元は埋田で、埋立地だったことや、尾張旭に越水と言う地名があるが、過去に洪水に見舞われたことを物語っているのだ。
建物を建てる前には地質調査を行うが、港区や南区、あるいは河川の近くの土地の表面は砂であることが多い。この砂は遠く木曽や美濃などの山から川が運んできたものだ。また、貝塚があったり、近くに古墳があるような土地は歴史的にも古くから陸地であり、その地盤は調査をしても堅固である。

今回の震災は津波以外の、液状化や地すべりなどの土地の被害も多いが、地震に備えるためにも家がどのような歴史のある土地なのか知っていたほうが良いと思うのである。



街の音風景 [地域]

風景は必ずしも目に入る物ばかりではなくって、肌に感じる物や、鼻や耳で感じる物も含まれる。NHKの番組では「日本の音風景」という番組もある。
今日、わが街の市会議員選挙が告示され、午前から一斉に各候補所の街宣車が走り出した。こうやってパソコンに向かい合っている間も、5分に一度は宣伝カーが「××でーす!よろしくお願いしまーす!」と声高々、拡声器高々と前の道を通過してゆく。間に廃品回収の拡声器高々の「おうちでいらなくなった冷蔵庫、洗濯機、なんでも回収します!」の音が混じってきたので、なんとなくおかしくなった。
通り過ぎる街宣車のひとつ、どこかで聞いたことがあるような声。他よりもボリュームが高い。候補者とその声の持ち主とは関係があるのは知っているので、かなり確信が持てる。そう思っていると、その宣伝の声が僕個人に向かっているような気がしてきた。それでボリューム上げていたりして。

うーむ。

今日のわが街の音風景である。

友人を家に上げない名古屋人 [地域]

昨日の朝日新聞の記事が面白かったので紹介します。

「つぶやき@ナゴヤ考」という連載で昨日のテーマは
「喫茶店文化4~友人を家に上げないのはなぜ?」

resize0090.jpg

主に家庭の主婦の意見が掲載されているが
この記事を要約すると。

友人を家に上げないのは・・・

・親との同居が多い(東京3.0%大阪4.4%名古屋8.9%)
・家に入れると家具などを値踏みされる警戒感がある
・見栄っ張りだから中は見せない
・閉鎖的

これは入れない側の心理。

一方、心づかい説もあるそうな。

・入れないというよりお互いにあがらないようにする心使い
・行くとなると招くほうは部屋を大掃除して、時には料理も準備する。
 自分も大変だし、相手も気を使う。

などの理由で、結局家に上げないで結局近くのコメダでお茶することになり、
気づかいなくお友達とおしゃべりできるのならワンコインなんて安いもの、とうことになる。

名古屋は喫茶店が多い理由のひとつにこれがあることを始めて知った。

人生の中で名古屋の生活が一番長くなった私だが、
プロパーではないので、地域文化的なところはまだまだ知らない部分が多い。
この記事を読んで、思い当たる節は多い。

・関西、関東出身の友人の家にはあがったことがあるが、
 名古屋の友人の家にはあまりあがったことがない。

・お隣の奥さんが我が家を用事のため来られた際、玄関から遠いところに立っておられた。
 →散らかった玄関を見ないようにすると言う心使いだったのか。

・来客のときうちの奥さんは徹底的に片付ける。(うちの奥さんの実家は江南)
 →おかげで我が家はとてもきれい好きという、事実と反するうわさがたったくらいだ。

住宅の設計は、依頼者の暮らしぶりというのも観察する必要があるので
本来一度はお宅にお邪魔すると良いのだが、
打合せにお伺いしますよ、と申し出ても、
「いえいえ、アーキハウスでやりましょう」
となる場合が多い。

当方も、お気遣いいただくのも大変恐縮なので、
ではお言葉に甘えて、私の事務所で、となるのだが、
お客様にわざわざ来ていただくと言うのも恐縮なものなのである。

ただ、事務所のほうがいろいろな資料があるので
結局は合理的理由で来ていただいたほうが良いということなのだが。

せめておいしいコーヒーとお菓子でおもてなしすることにしている!



??? [地域]

一昨日、事務所から旭前駅へ向かう道中、変った建造物と出会った。
いつもとは違う道を歩いてみたのであるが、
この地に住んで20年。このようなものがあるとはまったく気がつかなかった。

100428.jpg

小波板の板金屋根で、壁はモルタルにペンキ。
昔ドイツの戦車でこんなかたちの物があったような気がするが。

用途はどうも倉庫のようである。

ちょっと現代的な感じがし、なかなかかっこよいのである。
この作者に是非お会いして話を聞きたいものだ。

この建造物は、名鉄瀬戸線旭前駅から線路沿いを数百メートル西に行った南側にあります。

駕篭かき [地域]

私の住む尾張旭市は今年市政40周年を迎える。
その記念事業としてNHKラジオ番組「真打競演」の
公開録音が文化会館であったので娘と二人で出かけた。

大学生の娘が、落語を一度聞いてみたいという。
タイミングよくその公開録音に応募してみたら
運良く当選したのである。

青空球児・好児や牧伸二・・・懐かしい。
牧伸二さん・・・・今だ健在で、あ~おどろいた♪
林家彦一、柳屋さん喬さんの落語、素晴らしい。

さん喬さんの落語は「抜け雀」
かつて志ん朝のを聞いた事があったが、
お腹が痛くなるほど笑った記憶がある。

ある宿屋に泊った絵師の男が一文無しで
宿代の代わりに屏風に5羽の雀を書く。
その雀が毎朝、屏風から飛び出して
餌をついばんでまた屏風に戻ってくる。
それが評判になりその宿屋は商売繁盛!

ある日、老人が客として現れ
その絵には抜かりがあると言う。
これでは雀が休む事ができずそのうち雀は死んでしまうであろうと。
拒む主人を無視して鳥かごを書き足してしまうのであるが
これで雀の休む場所ができて、雀の命は救われるのである。

後日、雀を書いた絵師が再び宿屋に現れ、
かごを描いた老人の事を聴くのであるが、
その老人は絵師の父親であり
自分の絵に抜かりがあったことを悟り
そしてこういうのである。

「自分の父親をかご描き(駕篭かき)にしてしまった・・・!」

これがオチなのであるが、隣にいた娘はどうも意味が判らない様子。
まず、駕篭かきが判らない。
また、当時の駕篭かきは社会的にあまり高い地位ではないことも。
これが判らなければこのオチは飲み込めないので
娘本人は少々消化不良に終わったのである。

娘のような客が増えるとなると
古典落語の行く末を心配する私なのであった。

昨日 [地域]

人と会ったり、どこかのイベントに行くということは
ある一定時間その人を拘束するということで、
貴重な時間をいただくということです。

そういう意味で昨日の旭野高校吹奏楽部定期演奏会は
とても楽しい時間をいただいた。
いわゆる発表会なのであるが、
お客様を楽しませようという、若い高校生たちの気持が伝わった。
確かに技術的なこともあろうが、
その前に、お客様を楽しませるというサービスの気持があるかどうかが
重要なのである。

私も公私で色々な人の時間をいただいている事が多いのであるが、
相手にとってその時間は有意義なものであるのか、
楽しませていただいた上に、わが身を省みてしまった。

ちなみにこの演奏会、OB,OGの方々の資金援助などで
開催されているとのこと。(入場は無料)
地域にこのような若者がいて、地域の人達を楽しませてくれている
こと自体、本当に素晴らしいことだと思う。
微力ながら応援していこうと思う。


レールの上を自転車で走る? [地域]

昨日、チーム創作(これは何であるかは後日お話しする)の高山チームの会議に
参加する為、高山に行った。

高山で最初に会ったのは、西さんという設計事務所の所長さん。
この方、私が小学校3~5年まで住んでいたところのご近所さんで
高校の1年後輩に当たる。
私も薄くではあるが本人の記憶があるし、西さんも私のことはご存知だったようだが、
なんせ40年ぶりであるし知ってはいるものの話をした記憶もない。
名刺交換の際、はじめまして、か、お久しぶりですというべきか、非常に戸惑った。

会議は高山から1時間弱ほど車でかかる場所との事で、名古屋から参加した我々は
高山チームの車に先導されて山道を縫ってたどり着いた先は神岡鉄道の終着駅。
ここで会議をやるのかと思いきや、これから自転車に乗ってもらいます?!

なんでやねん!

どうも今回の会議の幹事さんは神岡の方との事で、
会議の前に楽しんでもらおうという
おもてなしの企画だったのである。
とはいえ、なんでやねん!

神岡鉄道という線路がかつてあった。
神岡は昔鉱山で栄えた街であり、人や物資運送の為活躍した鉄道ではあったが、
鉱山が閉鎖し、街が寂れるに合わせて3年ほど前についに廃線となってしまった
超ローカルな線路だったのである。

残った線路を生かして地元で生きる今回の幹事さんの父親が考案したのがこのアトラクション。

レールマウンテンバイク!!!

レールの上をペアで自転車で走る。
20090807a.jpg

片道約3キロ。鉄道で言えば2区間である。
自転車であるが、レールの継ぎ目のカタン、カタンという音と振動はあるし、
途中ホームもある。
20090807b.jpg

山の新鮮な空気を浴びながら走るオヤジのココロは踊るのであった。

途中、トンネルもくぐるのであるが、カーブしているので前からも後ろからも光の届かない
闇の中をオヤジのペアはひた走るのであるが、結構恐怖なのである。
白いきもの着たお姉さんが佇んでいたら・・・ぞぞ。
20090807c.jpg

これは楽しい。
いい年こいた大人がこれであるから子供はもっと喜ぶに違いない。
このお盆休み、まだ行き先が決まっていなかったらレールバイク、いかがでせうか。
http://tabihatsu.jp/program/73502.html

さて、本題の会議である。(忘れるところだった!)
縮小する住宅需要に対し我々はどうすればよいのか、
これは都会である名古屋であろうと、地方都市の高山であろうと
共通の課題なのである。
また、高山の方々も志し高く、商売抜きとして街のこと、
そこに暮す人達のこと、山のことを一生懸命考えているのである。
でもそれを実行する為には、志ある人達の経済基盤がなくてはならないのであり、
それをこれからどうするかがチーム創作の課題なのである。

高山の皆さんと議論した奥飛騨の夜であった。





宿儺かぼちゃ [地域]

宿儺(すくな)かぼちゃ

今日午後、昨年竣工した守山区吉根のKi邸のKさんが
実家で野菜がたくさん取れたので、と事務所まで届けてくださった。

キュウリ、ナス、ゴーヤ、トマトのほかに
「これは すくなかぼちゃ と言いまして」と下さった。

実は私「すくな」という名前は聞いた事があるのだ。

まさかね、と思ってネットで調べたら、そのまさかだったのである。

20090725.jpg

↑ IL-10とすくなかぼちゃ。(Kさんと私はIL-10仲間)

以前にブログにも書いた事があるが、
http://archihouse.blog.so-net.ne.jp/archive/200701-1
私の出身地である飛騨地方にはその昔、両面宿儺という異型の人種が存在したと言う伝説があり、
その名前と付けたとある。
また、岐阜県丹生川村(現高山市)の特産品とあるが、この村は私の父親の在所でもある。

しかしながら、私の故郷とKさんとはまったく関連性がないのであるが、
故郷に関連したものをいただくとは、何か不思議な縁を感じるのである。

何はともあれ、Kさんにはこの場を借りてお礼を申し上げる次第なのである。

ありがとうございました。

PTAバンド [地域]

平成18年度の地元のPTAの仲間でバンドをやっている。
メンバーは当時の尾張旭市内のPTA会長と母代さんが主で総勢12名!

PTA関係者というのはノリがよく、活動的で、ボランティア好きである事が
どうも共通点としてあるようで、
そういう意味で私もその範疇に入るようだ。

学生時代からバンド活動をやっていたり、
社会人ビッグバンドのメンバーであったり、
市民合唱団のメンバーであったり
盆踊りで太鼓叩いていたり、予告もなくいきなり踊ったり・・・・

偶然ながらも音楽の好きな人が多い。
というか、人を楽しませることに生きがいを感じているというか・・・

ノリがよく、活動的で音楽好きとなれば、
バンドの結成は自然な流れ。

それでいてボランティアは積極的であり、
地域に顔が利くメンバーとあればこれまた自然と演奏のオファーがかかるのである。

老人福祉施設の慰問、児童館の子供まつり、
お年寄りの会であるとか、障害者施設の夏祭り、9月は敬老会
早くも来年のお話までいただいている。

練習時間の確保が大変と言えば大変なのであるが
まあ、何とかなるさでやっている。

バンド名は「P-なっつメロン」
PTAのPに、主に7,80年代歌謡の我々にとってのナツメロをやるバンドということで
そういう名前がついているのだ。

マークもあるし、なんとオリジナルのP-なっつメロンパンまである。
そのへんのご紹介はまた追々と。

地域連携 [地域]

地元の小学校のPTAをさせていただいた関係で、
学校評議委員なる役を頂いている。
昨日今年度第一回の評議委員会が開催された。

いろいろ意見交換をさせていただいたのであるが、
僕は学校の地域開放について少し意見を述べさせていただいた。

例の池田小学校事件依頼、小学校の門は閉ざされ要塞化している。
関係者以外は気軽に小学校の敷地に
足を踏み入れることはできない。

一方で、子供の育成の為には学校と家庭と地域の連携が必要であるとの
認識はみんなが認めているところである。

学校が要塞化されていることは、その地域連携の考えとは
矛盾していることであり、「地域の我が小学校」という住民意識を
持つ上で是非とも今閉ざしている門を開放していただきたいと思っている。

校長先生も賛同してくださった。
池田小の教頭先生のお話を引き合いに出され
教頭先生は事件の直前に犯人と学校ですれ違っていたという話をしてくださった。
あの時「どちら様ですか?御用は何ですか?」と声を掛けていれば
あのような悲惨な事件はおきなかったかもしれない、と悔やまれていたそうである。

ハードな方法ではなくソフトでも防犯は可能であると言うことだ。
確かに防犯上門を閉ざすことは効果的であるのは分るのであるが、
大所高所的に一番よいことなのか、考えてみなくてはならないのでは。






この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。