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法隆寺宝物館の? [建築]

先週東京に行ったとき、上野にある谷口吉生設計の法隆寺宝物館に行った事をここに書いたが、なぜ上野に法隆寺の宝物があるのか少々疑問だった。
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説明書きには明治時代、法隆寺が皇室に献上し、その後国に移管されたとあるが、このおびただしい国宝の数々がどうして皇室に献上されたか。当時のことは良くわからないが、他のお寺も献上したかどうかは知らないが、当時の流行とは思えない。

見学を終えて、アプローチにあるベンチに佇んでいると、となりに座った男性が話しかけて来て、少しそのことで話をした。その男性によると、当時法隆寺は大変財政が厳しくて、資金難のためにこれらの宝物を皇室に売ったのだと説明してくださった。当時の廃仏毀釈運動も影響しているとか。この説明で多少納得した。

それにしても、国の宝物になったとはいえ、この宝物館、上野じゃなくて斑鳩の里に立てたほうがふさわしいと思っているのは僕だけではないはず。物にはふさわしい場所があるのでは。何でも東京に集めれば良いというもんじゃないでしょ。

略称 [建築]

今年から中部デザイン団体協議会の理事を仰せつかっている。
この中部デザイン団体協議会というのは20年ほど前行われたデザイン博を機にデザイン関係の横の連絡を密にしてデザイン都市名古屋を実現させようできた団体である。
その会議が昨夜デザインセンターで行われたのだが、アルファベットの略称ばかりで、はじめて参加した僕にはついてゆくのが大変だった。

中部デザイン団体協議会の略称はCCDO
僕が所属しているのがJIA。そして籍だけ置いているのがASA。
そこまでは解る。

CCDOを構成する団体はJIAを含め、15あるのだが、

JIDA
JID
JIA
JCD
PDOJ
CDA
CCC
ASA
NIC
SDA
DDA
OAC
JJDA
CIP
JAGDA
・・・・・・・・・もう、何が何やら、である。とうてい覚えきる自信もない。

しかし、これってどうなのかとも思う。
JIAなら日本建築家協会、ASAなら愛知建築士会という立派な正式な名称があり、略称を使わなくてもさほどエネルギーを使うわけでも無し。

人によってはこの略称を使うのがお好きな方もおられ、実際一般の方に「JIAの・・・です」と言われる。JAやJTならまだしもJIAと聞いても解る方は皆無。最初から日本建築家協会と言ったほうがよほど解りやすいではないか。

横文字使えばカッコいいが、略称って実際要るのか?と思う僕なのだ。

世界建築会議 [建築]

今週月曜から今日まで、東京で開催された世界建築会議に参加してきた。
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この会議は3年毎、開催されていて、日本建築界が長年切望していた日本での開催がやっとで実現したものなのだ。134の国地域が加盟し、世界で130万人の建築家がいるUIAの世界大会で、会場は色々な国からの参加者であった。月曜日の開会式は天皇皇后両陛下が御臨席され、来賓には奥田国交省副大臣や石原都知事やアーチストのクリストさんなど。壇上におられる方々を見て、この大会のすごさを始めて知ってしまう私。

3・11の震災があり、一時は開催も危ぶまれたのだが、この震災によってこれからの社会の価値観を見直す契機にもなり、逆に意味ある会議になったと思う。

昨日は「2050年の建築家を考える」シンポジウムに午前参加し、午後からは上野公園で開催された千人茶会い行き、ついでに谷口吉郎設計の法隆寺宝物館を見学して、六本木ヒルズの森美術館で行われているメタボリズム展を見た。

2050年というのは要するに次世代のことを言っていて、このために今何をしなくてはならないのか考えるシンポジウムなのだが、人間の幸福は今までのような経済優先の社会では実現できないから、価値観を大きく変えなくてはいけないというパネリストや出席者のご意見。GNPからGNH(Gross National Happyness)へというブータン王国ティンレイ首相の話が印象的だった。国内総生産から国内総幸福量ということ。

夕方行ったメタボリズム展が価値観転換というテーマをさらに強調しているのがよかった。メタボリズムとは1960年頃に行われた建築運動で、建築や都市も人間と同じように新陳代謝を繰り返して成長すべきという主義の運動。1960年ころといえば日本は高度成長の真っ只中にあり、拡大する都市、経済に対し建築はいかにあるべきか問われていたのだ。丹下健三の東京湾計画などの展示模型やドローイングを見ても、それはそれは壮大極まるもの。「大きいことはいいことだ」のあのCMがその時代を象徴している。でもあの時代はそういう社会だったわけで、展示を見ても当時の建築家たちが一生懸命、未来の為に考えていたことがひしひし伝わってくる。

今回の世界大会。実のところあまり行きたくなかった。リアル天皇陛下を拝見できるから行ってみるかなあ、くらいだったが、大変有意義な時間を過ごすことができ行って良かった。

ちなみにこの写真は六本木ヒルズ展望台から見た夕日と富士山であります。
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新川流域雨水新法 [建築]

台風12号で四国などでは大変な雨になっているようだが、11年前の9月11日にはこの地域では東海豪雨があり、新川が氾濫して甚目寺や清洲はじめ広域で洪水の被害に見舞われた。あれから11年も時間が経ったとは信じられない感じだが、これによってできた法律が「新川流域雨水新法」。田んぼなどを埋め立てると、雨水がいきなり川に流れてしまい、洪水を起こしてしまうのでそれを調整しようとできた法律である。都市化による洪水被害は昔から問題視されていて、アスファルトなどで地面を覆うと、土壌のの保水能力がなくなり、排水設備にいきなり多量の水が流れ込んで起こる都市型災害を少しでも少なくするためである。

今計画中の診療所がこの法律の対象地域で、耕作地を埋め立てて行う工事なので、この法律に従い敷地内に雨水の流出調整設備を作って、役所に申請しなくてはならないのだが、その技術基準が初めての僕には誠に複雑なのである。HPから300ページにも及ぶ設計技術指針をダウンロードして、計算プログラムとそのマニュアルをさらにダウンロードして勉強しなくてはならない。ある程度は理解できたものの、その理解に確信が持てないので週明けに役所に相談に行くことにした私なのだ。

しかしながら、設計技術基準を理解するのはなかなか、である。


日本の夏、節電の夏 [建築]

ちょいとこれを見ていただきたい。今日郵便受けに入っていた電気使用量の通知である。

今月の使用量259kwh
前年同月使用量 566kwh
節電率 約55%!!!

節電が叫ばれている今年の夏、出来うる限りエアコンをつけなかった結果なのだが、もとよりガマンの文字はわが辞書にはない、僕なので熱中症ぎりぎりまで耐えたわけでも無し。単に窓を開け放して仕事をしていた結果なのである。

事務所はマンションの3階で場所は比較的高台。南北に大きな窓があり、風が通りやすい構造で、周辺には風を遮る物はなく、仕事をする席も窓際で風の通り道にあるなどの条件が整っていたおかげなので、今年の夏は空調に頼ることなく秋を迎えられそうだ。

ということは昨年まではこのような好条件の中でもエアコンを無駄に使っていたということだ。夏になると結構条件反射的にエアコンをつけてしまうようで、今年のように節電を意識すれば、以外に自然の恩恵を発見できて、暮らしの工夫で電気に頼らず快適に過ごすことができるということなのだ。

日本の江戸時代の暮らしは海外からも評価されているらしい。もちろん電気などない時代、打ち水やすだれやグリーンウォールなどの日射遮蔽物はじめ、建築も快適性を求めた作りとなっている。熱環境問題ばかりではなく、250年間で3倍に膨れ上がった江戸の町の都市インフラ整備など、随所で優れた工夫が見られたそうだ。
 このように不便な環境であるからこそ人間の工夫が生まれ、また、工夫次第でいくらでもエネルギーに頼らない快適さが得られるわけで、ある意味、良い教訓を得たのではと思うのである。

ちなみに今年は電子香取ではなく、昔ながらの蚊取り線香が売れた夏では。
やっぱり日本の夏はキンチョーですかね。

敷地調査 [建築]

今年一番の猛暑となった今日、設計中の物件の敷地調査に出向いた。場所は一宮。
よりにもよってこんな日に!なのだが、世の中には暑かろうが寒かろうが外で仕事をしている人はたくさんいるので、こんなことは言ってられない。

大学1年生の息子を助手にして現地に車で行ったのだが、助手席の彼は出発するなり大きな口をあけて爆睡状態。小さい頃から車に乗るとほとんど寝ていたのだが、二十歳になろうとしているのにこの習慣は治っていない。寝る子は育つというが、もう育ち切っているので、これは惰眠と言うべき。

敷地は市街地調整区域で今は田んぼである。緑色の稲穂が熱風になびいていた。久しぶりに田んぼを観察する機会を得たのだが、田んぼの中にはめだかやタニシなどの生物が棲んでいたが、僕が子供の頃に比べれば非常に少ないと感じた。この時期にもなるとオタマジャクシ、カエル、ミズスマシ、タガメなどの生物がよくいたものだが、環境のせいか本当に少ない。

建築を専攻している息子なので、一宮にある建築を見ていこうと、一宮市博物館に立ち寄った。この建築が出来てかれこれ20年近くにもなろうか、故内井正蔵の設計で、饒舌なデザインの博物館である。オープンしてからそれなりの時間を経ていたが、きれいに保たれていて、今でも見ごたえのある建築だ。僕なりの解説を息子にしながらの建築見学であったが、この親父の言うことに彼はどれほど耳を傾けただろうか。親父の言うことなんか息子としては聞く気にもならんのは世の常。見学したという体験だけで十分である。

あまりの暑さに帰りはコメダに入りカキ氷を食べたが、コメダのカキ氷があれほどBIGとはつゆ知らず、ぜんぶ食べるには大変な思いをしたのだった。

部屋を育てる [建築]

4年ほど前に竣工した建物の建築主さんから業務上のメール上で、このようなご報告をいただいた。

「オーディオルームを竣工後音響調整材を設置して今や部屋がまるでひとつの楽器のように鳴るようになった。”部屋を育てる”のは面白い道楽です。」と。

部屋がひとつの楽器のように鳴るとは、いかがなる状況なのか、とても凄そうな事で、近いうちにお誘いのお言葉に甘えてお伺いしたいとわくわくしているのだが、最後の「部屋を育てる」との言葉には、う~む、と唸ってしまうものがあった。

部屋を育てる、というのはこの場合オーディオルームとして音環境を竣工時から理想に近いものにする事なのだが、これは一般の住宅にもあてはまることであり、家をつくる事にも関連する。家を新築することは家族の住まいとしての空間を作ることだが、住まいとなるためには空間とそこに納まるいろいろな家具や生活雑貨などが揃わないといけないし、室内ばかりでなく、庭なども大いに関わってくるのである。竣工写真に見られる空間は建築の空間としてはとても整理されていて美しいのだが、それがイコール住まいの美しさとか、快適さにはならなくて、時間をかけて生活雑貨が加わり、庭の緑も育って住まいとして成長していくのだ。

竣工引渡しの時にいつも寂しい感覚になるが、これもわが手を離れる寂しさと言ってよい。住宅が建築主の手に渡り、これからどのようになってゆくかは建築主次第。どの建築主さんもまったく案ずる事はないが、生みの親としてはその後の成長にも責任があるし、気がかりなものなのだ。

「部屋を育てる」というひと言は、僕の建築感、住宅感に少なからず影響するだろうな。


卒業設計コンクール受賞者からのメール [建築]

先週土曜日、名古屋市都市センターにてJIA東海主催の東海学生設計コンクールの2次審査が公開で行われた。1次審査を通過した9名によるプレゼンテーションの後、審査が行われ、金賞1名、銀賞2名、佳作6名が選ばれた。どの作品も大変な力作だった。結果はJIAのホームページに公表されるのでそちらをご覧いただくことにして、うれしかったのが今日届いた受賞者二人からのメールである。

一人はM大のHさんから。もう一人はN大のSさん。

以下転載。
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M大学工学研究科建築学専攻 Hと申します。
昨日は、卒業設計の審査をしていただき、また、たくさんの貴重なお話をしていただき、ありがとうございました。

とても楽しい一日を過ごすことができました。
また、これからの自分の在り方を見つめ直すきっかけとなり、建築へのさらなる意欲を持つことができました。

また機会がありましたら、お話をお聞きしたく思います。

お忙しい中、本当にありがとうございました。
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もう一人が、N大のSさん
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メールで失礼致します。
先日はありがとうございました。

もっとnamazuさんのお話を聞ければ良かったです。
御機会があれば、またお話きかせて下さい。

では、今後ともよろしくお願い致します。
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審査会の後、受賞者と審査委員、運営スタッフで居酒屋で懇親会が行われ、親しく受賞者と話をすることができたが、今の学生のしっかりしていることには本当に驚かされる。自分の意見をしっかり持って、物怖じすることなく話す姿は当時の自分と比較しても格段に大人である。最近の若者は・・・なんて到底言えもしない。逆に、最近の中年は・・・・と若者から批判されかねない。

この二人からのメールにしても、感心すべき人間性が判る。よき建築人である前に、よき人間であることが大切だと思っている僕としては先日の賞とは別の賞をあげたくなってしまった。

日本の将来は明るい!

設計者の役割 [建築]

今日の報道番組で、気仙沼で店を失った商店主たちが共同でプレハブの仮設共同店舗を作って再出発しようとしていることを伝えていた。震災から3ヶ月がたち、絶望のどん底に落とされた人たちも時間と共に復興への気持ちが沸き起ってきたとのこと。9月のオープンに向け、参加する商店主の方々の会合の場面がテレビに映されていたが、その中での会話で、玄関はどこにしようか、だれがどこを使うか等の話し合いとともに時間がなくても、仮設であってもちゃんとしたものを作りたいとの意見もあった。

見たところ、建築の専門家は参加していなくて専門外の人たちのみで話し合いをされていた。そこで僕は思ったのが、ここにこそ設計の専門家が必要ではないかと。僕たち設計屋は図面を書いたり、確認申請の手続きをするばかりではなく、いろいろな意見を建築あるいは空間として具体化することができる。例えば、住宅では、のんびり出来るリビングがいいとか、家族が団欒できるところがあるといいとか、伸びやかな空間が欲しいなど、言葉のレベルではいろいろな希望や理想的な住宅は語れるが、それらのことを具体的なものとして示すことが出来るのは設計者ではないだろうか。それが他にはない設計者の特殊能力であろうと僕は思っている。

この気仙沼の仮設店舗の会議で設計者が加わっていたとしたら、それぞれの意見に対し、具体的な店舗のイメージを判りやすく示すことが出来るだろうし、それによってちゃんとしたものが早くできるはずなのだ。

昨日建築家協会の会合で、一体我々に何が出来るのかが話題になり、一個人としてボランティアすることは出来ても職能人としてはなかなか思いつくものがないね。と意気消沈の空気が漂っていたが、ひとつ役に立てることが見つかった気分だ。

どんな小さなことでも良いので、言葉の空間イメージを具体的なものに変換できる設計者の能力を役に立ててもらえれば、と思うのである。

TV取材 [建築]

今日午前、東海3県の建築家や工務店、専門工事業者で作っているらいふくれよんのTV取材があった。
本当なら代表のDさんが受けるところだし、メンバーの多くがJIAの建築見学旅行に行っておられるので僕におはちが回ってきてしまった。神戸に遊びに行った報いか。

岐阜テレビの取材で、らいふくれよんの本部の様子とともに、カメラの前でインタビューを受けた。カメラが回っていないときは気楽に話が出来たのだが、カメラが回ると1万倍緊張してしまい、何を言っているのやら良くわからない。筑紫哲也さんが、クイズ番組に出ると普段の思考力がカメラの前だと格段と低下すると言っていたが、筑紫哲也さんほどの人がそれだから、僕がどれほどか、お察しいただきたい。
取材の様子はらいふくれよんのブログにものっているのでよろしかったらご覧下さい。
http://www.lifecrayon.co.jp/communication/official/

どんな感じで放映されるのか、とても怖い。

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