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丸く貼り分ける [建築]

一宮で工事中の医院、M耳鼻咽喉科の現場である。

7月末完成に向けて現在塗装下地のパテ処理を行なっているところで、今日はそのサンダー掛けの工程だ。サンダーをかけると当然のことながら細かいホコリが現場中舞っていて、監督、職人さん、建築主のM先生、そして私もホコリにまみれていた。

「ホコリ高き男たち」

とは、このことを言う。

さて、この医院の待合室にはキッズコーナーが設けられる。
そもそもM先生は椅子の造詣深く、この医院に置かれる椅子たちは世に「名作」といわれるものや、キタニによる特注家具だが、キッズコーナーの椅子たちもそれなりのものである。

「小さいうちからいい物に触れて欲しい」

というM先生の思いからそれらの椅子が選定されている。どんな椅子が置かれるかは、まだここでは明かさない。後日のお楽しみということで・・・。

このキッズコーナー。いくらか楽しい雰囲気を出そうということで床を丸く貼り分けることになった。周囲がチークで少し濃い目の床に対し貼り分け部分は明るい色合いのメープルである。

この提案、口で言うには容易いが、実際やるとなるとそうは簡単にはいかない。
言うは易し、行なうは難し。である。

この現場に入っている棟梁は2年前天白のK邸を担当されたW棟梁。人柄も腕も厚い信頼を置いている大工さんで、言うは易しお願いを技術と工夫で今日実現していただいた。

メープルを床に敷き並べ、コンパスとなる定規を作り、ルーターで切っているところ。

写真 2.JPG

すでに張上げられたチークを同様の方法で丸く切り取り、メープルを仮置きしたところ。

写真 3.JPG

「初めてだから悩んじゃったよ~」と軽く言ってくださるが、面倒な仕事を快く引き受けてくれたことはとてもありがたい。職人の心意気に感服&感謝。

W棟梁は引き続き尾張旭のK邸を担当していただくことになった。

さて、次はどんなお願いをしようかな?

・・・冗談です。

世間は狭い [雑感]

本日尾張旭市唯一の高校、旭野高校前校長と前々校長の退職祝いの会がスカイワードあさひのレストランであった。主催は旭野高校PTA OB。私は平成21年度にPTA会長をさせていただいた関係で出席させていただいたのだが、お二人の校長にお世話になったPTAは8代にわたる。

私がPTA役員をしていた3年間は前々校長の伊藤好美校長にお世話になったが、この伊藤校長のすごいところは数々あれど、特筆すべきは学校のありとあらゆる備品を手づくりで作られたこと。茶道部の野点用の机や日傘の収納箱、体育館の演台、そしてその収納箱などなど数えたことは無いが、本日伊藤校長が持ってこられた作品集を見る限り百は下るまい。特に校門に張ってあるセコムのプレートの額。セコムやALSOKのプレートはどこでも見るが額入りのものはこの高校でしか見ることはできまい。私のお気に入りのひとつだ。

これらの「作品」にはそれぞれの思いがあって作られている。先の演台の収納箱。伊藤校長いわく。「高校は生徒を褒めて育てるところ。演台をそのまま置いていては生徒が壊すこともあるだろう。その時は叱らなくてはならないので、その叱る機会を作ってはならないから収納箱を作った。叱る機会を排除することも学校の仕事。」とのこと。非常に感銘を受けた話だ。

ところで、伊藤校長が旭野高校に着任された年のPTA会長。私の6代上の方だが、お話をしてみると、私と同じ飛騨のご出身だとのこと。話を進めていくと、下呂市萩原町尾崎のご出身。なんと私の母親の在所があるところではないか。どうも歩いて5分くらいの距離のようで、そのPTA会長さんのお母さんと私の母も同じような世代だ。子供の頃から知っているかも知れませんねと、極めてローカルな話題で盛り上がったのである。

「世間は狭いものですなあ」と6代先輩P長さんとも話していたのだが、このような方にお会いできたのも、元をたどれば息子がこの高校に入ったことや、PTAにお誘いいただいたことや、今回この会を企画していただいた先輩役員の方々がおられたおかげ。人との出会いとはいろいろなことが折り重なって起こることを実感した会でありました。




浮気封じの木 [地域]

台風4号が去ったのもつかの間、昨日は強く雨が降った一日だった。
そんな雨の日、大学の授業を終えて栄での会議に向かう途中、計画を依頼された住宅の敷地を見に行った。
場所は瑞穂区大喜町。地図を見れば地元でやってるPTAバンド「P-なっつメロン」のバンマス、いんちきポール教授勤めるM大学のすぐ近くではないか。
しかも高田小学区。この小学校はわが奥さんの出身小学校である。なにか縁のようなものを若干ながら感じたのだ。

今回の敷地、神社のすぐ横にある。田光八幡社という。
「保存樹」と書かれた札をつけた立派な楠が2本あり、大きい方は高さ25mもあるそうだ。

その奥に二本の木が途中で一体化し、実に珍しい形をしている「和合の木」という樹木がある。
写真 1 (1).JPG
立て札の説明は
「夫婦円満、子授け、そして浮気封じに霊験あらたか・・・」とある。
写真 2.JPG

しかし

「浮気封じ」?

家内安全、夫婦円満、学業成就、子孫繁栄、商売繁盛、交通安全・・・神様に祈願すること数々あれど、「浮気封じ」は初めてなのでちょっとネタにしてみた。

二本の木が一体化したその姿を夫婦になぞらえ、そのようなご利益(ごりやく)のある大変ありがたい木なのだ。

訂正!そして乗り過ごし [住宅]

昨日ここで住宅エコポイント打ち切りのことを書いたが、とてつもなく正確性を欠いていたのでここで訂正させていただきます。

住宅エコポイントの中の「復興支援・住宅エコポイント」について、予約申込期限がH25年4月であったものが、予算が底をついて来月7月中旬から下旬に早まるというものでした。お詫びし、訂正いたします。

さて、

昨日栄での会議の後、メンバーで食事を済ませて終電一つ前の電車に乗った。そして前日の寝不足と酔いも手伝って寝てしまい、一駅乗り過ごしてしまった。反対方向の電車もなく、酔いさましを兼ねて30分ほどかけて歩いて自宅に帰ったのである。

城山公園の南側を走る城山街道。てくてくと歩く暗い道の南側には1キロくらいであろうか、田園が広がっている。秋になるとコスモスが美しいあの一帯だが、カエルの鳴き声がとても賑やかだった。1種類だけでなく、少なくとも3種の鳴き声とともに、甲高い鳥のような鳴き声も時折混じっている。僕の田舎を思い出すような音風景だ。尾張旭でもこんな所があったんだと新たなる発見と、夏が近いことを感じたのだ。

今思えばこの近辺で今年初め頃だったか、おばあさんの交通死亡事故があったのだった。

カエルに気を取られていなかったら、別の夏を体験できたかもしれない。

打ち切り [住宅]

台風4号が東海地方を通り過ぎた昨夜、ここ尾張旭では思ったほどの風雨でもなくほっとしている。
鹿児島在住の友人O松君のフェイスブックにアップした写真では、台風一過の夏の空が写っていたが、ここでは相変わらずのどんよりした梅雨の雲が天を覆っている。

また今日は尾張旭市内で、K邸の柱状改良工事が始った。朝一番に様子を見に行った私。重機と材料が敷地内に持ち込まれ、エンジン音を響かせて一本一本確実に改良が行なわれていた。11月の竣工に向けて、いよいよ本格的に工事が開始されたのである。
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さて、本日の新聞一面に「住宅エコポイント6月末申請分で終了」なる記事が掲載されていた。予定されていた予算が予想よりも早く消化され、東北の災害地に回すための措置であるとのこと。要するに打ち切りである。このK邸にしろ、設計中のT邸にしろ到底この申請期間に間に合わないため、それぞれの建築主さんはエコポイントによる特典は受けられない。誠に残念である。

また、同じ一面トップには「民主党、党内手続き打ち切り」の見出し。小沢グループ約60名の造反確実ともあり、民主党分裂も時間の問題らしい。どうやら消費税増税法案も成立することになり、住宅業界も増税前の駆け込み需要とその後のリバウンドがやってくる。以前、ある報道番組では、住宅のような高額なものは消費税の額も大変な金額になり、国民への負担も大きいから一律の税率は適応しないと官僚の一人が言っていた。デンマークは消費税率が25%と世界一高い国だが、住宅など生活に必須のものは無税だと聞く。

我業界のことばかり言ってられないが、これからどうなる建築業界、そしてわが日本。

台風4号 [雑感]

台風4号が今日から明日にかけ日本列島を襲うという予報だ。
別名「グチョル」と言うらしい。

今日は「グチョルが来ちょる」
と、くだらないだじゃれを言うオヤジが日本に何万といると思うが、
どうか温かい目で見てあげてほしい。

「グチョル」とはミクロネシア語で「ウコン」の意味らしい。
ウコンと言えばお酒飲みの皆さんは何かとお世話になっていることと思われるが、
なぜ台風の名前がそうなのか。世の中にはまだまだ謎が多い。

建築関係者にとって台風襲来は何かと緊張する時でもある。
現場では足場のシートが飛ばされないようにはずしたり、
資材などが飛ばされないようにしなくてはならない。
以前、風で足場が倒れ、死者が出るような惨事があったことも記憶に新しい。
また、竣工した家でも雨が漏っていないか、しばらく落ち着かない時間をすごすのである。
とにかく、災害がないことを祈るのみ。

「櫛風沐雨」(雨や風にさらされて苦労すること)と言う言葉があるが、
台風や地震など、自然のストレスを受けてまた、建築の災害に対する耐力も
向上していっているのも事実なのである。


やっぱり家が一番ねぇ [住宅]

今年のゴールデンウィークは曜日の並びが幸いして、9連休という方もおられたのでは。

我々建築家というか設計事務所経営者は基本的には自営業なので、休みといっても
サラリーマンのように与えられた権利ではない。
日頃の罪滅ぼしとして家族サービスをする時でもあるが、我が家のように子供たちも大人になって
各自友達と遊んだり、アルバイトしているとその「業務」からも開放される。
私のGWは、ほぼ仕事50%、里帰り20%、趣味30%であった。
 
ところで、このGW中どこかに旅行に行ったり、行楽地に遊びに行ったり、里帰りされた
ご家庭も多いと思うが、家に帰ると「ああ、やっぱり家が一番ねえ」と言うことがあるのでは
(どうでもよいことだが、大体お母さんがそう言う)。

外に出かければいろいろ楽しい事があったりするのだが、人ごみにもまれたり、車や電車に
乗ったりでそれなりのストレスが伴うのも事実。
家に帰ってそれらの外圧から開放されてほっと一息、「やっぱり家が一番」、となる。

いってみれば家がこの世で最もストレスフリーな場所なのである。
逆に言えば、家はストレスがあってはいけない場所で、家づくりもこれを心がけなくては
いけないのでは。

ある巨匠建築家は「住むとは戦うことです」と言っておられたが、
僕としてはいささか理解に苦しむところ。

旅行から家に帰ってきて、「これからまた戦いが始るのねぇ」では、あまり長生きできないような気がする。
お母さんが旅行から帰ってきて「やっぱり家が一番ねぇ」と思わず言ってしまう家かどうか。

これがいい家かどうかのひとつの判断基準になりそうだ。

悲しい出来事 [住宅]

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昨年秋に竣工したH邸である。
アプローチの脇に立派な桜の木があり、満開になれば間違いなくこの家を彩ってくれる・・・はずだった。

家の中からもこの桜が楽しむことができるはずで、設計のひとつのポイントだったのに・・・

桜が満開になったので明日あたり写真を撮りに行こうと建築主のHさんに電話を入れたところ、

「先月伐られて無くなってしまいました」

との想定外の悲しいお返事。

桜満開のH邸の写真、撮りたかった!

・・・虚脱感の私。

花と散った竣工写真である。

ちなみに桜の寿命は50年ほどだとか。幹が腐って程なく倒れるそうで、恐らくそうならない前に伐採するらしい。事務所と自宅のある桜ヶ丘町はその名に反して桜は余りない。昨日の町内会での話では当初は方々にあったと言う。植え替えをすれば良いのだが、市にお金がなくてそれも叶わぬと言う。

毎年桜の季節を迎えるときっとH邸の桜を思い出すだろうな。


低気圧と省エネ [建築]

日本海で台風並みに発達した低気圧のおかげで今日の日本列島は大荒れの天気。ここ尾張旭でも午後から風雨がかなり強くなった。僕は今日一日事務所にこもっての仕事だったから良かったものの、朝一番で打合せに来てくれたM監督は、これから現場のシートをはずしに行かなければならんと言っていた。

ご苦労様です。

少し前に強風で足場が倒れて人命が失われた事故があったが、これは安全管理上大事なことだ。

特に午後4時前後だったか、雨がかなり強く降っていた。

事務所のバルコニーは樋のキャパシティーを超えるあまりの雨の量に金魚が飼えるほどのプールになってしまっていたし、窓から見えるお隣の雨どいからは、じゃばじゃばと勢いよく雨水があふれていた。風にしろ、雨にしろ、地震にしろ、建築は最大の負荷にあわせて作らなくてはならないことを改めて思った次第だ。

建築の負荷に関してだが、近い将来住宅にトップランナー基準の断熱性能が義務付けとの話を聞いた。義務付けられるということは法制化されるということ。努力義務とかではなく、日本国民として義務化されるわけだ。

この背景として考えられるのは地球温暖化対策が当初からのものだが、福島原発事故を発端とするエネルギー問題が義務化へと国をして走らしめたと僕は考えている。エコポイント制度や税制などで誘導してきた住宅の省エネ化が義務化とは、国のあせりみたいなものが感じ取られる。その話によると家電などの業界はエネルギー効率にはそれ相当な技術開発をしていて今や乾いた雑巾をさらに絞るほどのレベルに来ているそうだが、建築業界はそれに比してまだまだ改善の余地があるそうだ。

個人財産である住宅であってもやはり社会の財産であると考えればこの義務化も理解はできるが、今の段階では若干違和感も残るのである。



表札 [住宅]

本日プロ野球開幕。
わがドラゴンズは見事開幕戦勝利!
吉見投手はホントに惜しかったけど、最高のスタートであります。

さて、前々から思っていることだが、マンションで表札を掲げている家が極めて少ない。事務所のあるマンションでもポストに名前をつけている家は12軒中2軒。古くから住んでおられる方のお名前は知っているが新しく越してこられた方はさっぱり判らないし、お顔さえ拝見したこともない方もおられる。

20年前にここに引っ越してきた時はそんなことは無く、どのご家庭も表札は集合ポストと玄関にちゃんと付けてあったが、個人情報保護とやらが社会的に取りざたされるようになってからだと思うが、一軒二軒と消えてきた。表札は社会に対して、とまでは言わないが、ご近所に対して自らの存在を示すものでもあり、近所との関わりを持つための基本的なものと思うのだ。特に集合住宅では各戸が堅牢なドアで閉ざされているので、ヘタをすると住んでいるのか生きているのかどうかも判らない。

このところ孤立死のニュースををよく聞くが、その度に近所の関わりの希薄さが問題視される。先日ヤクルトの訪問販売員が異常に気づきひとりの命を救ったとの報道があったし、今日のニュースでは牛乳配達で異常を感じたら警察や身内に通報するシステムを牛乳メーカーが始めたとあった。これはとてもすばらしいこととは思うが、近隣コミュニティーのこの希薄さをこのまま放置していて良いものかと思うのであって、表札を掲げないことがその希薄さを象徴しているように感じている。

一方で、戸建となるとほとんどの家には表札が掲げてある。私の事務所の建築主さんでも集合住宅に住んでいた時は表札かけてなくても、戸建に引っ越したら表札をかけておられる。これは一体どうゆうことなのか?集合住宅ではまわりが掲げていないから、戸建では廻りが掲げているから、掲げる掲げないという極めて単純なことなのか。あるいは集合住宅では近所付き合いしたくないけど、戸建になったらOKになるのか。

僕にとっていまいち理解に苦しむ社会現象なのである。

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