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SDカード [雑感]

今日、運転免許取得1年の娘宛に自動車安全運転センターというところからSDカードが届いた。このSDカードとは、無事故無違反運転の証で、買い物の割引などの特典が与えられるのだ。SDとは恐らくSafty Driveの略。
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恥ずかしながらこのようなカードの存在を知ったのは初めてである。同封のパンフレットを読むと、2年、4年、10年、20年とグレードアップしてゆく。

安全運転を促すシステムである事はすぐわかる訳だが、単純な私はこうゆうのには大変弱い。

私のSDカードは一体いつ届くのだろうか?

届いたとしても1年なのですが・・・

1円! [雑感]

あることを知りたくてAmazonでそれに関する本を探していたら「1円」で販売している古本があったので購入してみた。ホンマかいなと思ったが、ホンマに1円。ただし、送料が250円ではあったが。

安く欲しい本が手に入ったので満足なのだが、よくよく考えるとなんで1円で売れるの?

普通商品ならば仕入れ値に利益を乗せて販売するはずだが、1円では当てはまらない。

この出展者が運送業をやっていて、送料で利益を上げるためか。

あるいは何らかの理由でお金上げるからこの本引き取って、と仕入れ自体で利益を得ているのか。
(こんな話はいまだ聞いた事はない)

またあるいは、この本をネタにどえらい落とし穴が待ち構えているのか。(これはイヤである)


この私のささやかな疑問に明確にお答下さる方がおられたら是非ともご教授いただきたし!

食欲の秋 [雑感]

読書、芸術、そして食欲の秋といいますが、なぜ食欲の秋と言うのか?説によると、今のようにビニールハウスで野菜を作ったり、食料を輸入していなかった頃、秋は一番多くの種類の食べ物が出回っていたためとあった。野菜にしろ、果物にしろ、キノコにしろ秋が一番収穫が多い。それに、今だこれだけはこの季節しか味わえないものがある。それは新米。取れたてのお米は確かに美味しく、食欲も増す。また、食欲の沸かない暑い夏のあとの秋。その反動もあるかもしれない。もうひとつ、人間の遺伝子説。昔は冬になると食料が乏しくなるから、秋のうちにたくさん食べて、脂肪を身につけ、冬を乗り切ろうとしたに違いない。その生命存続のための手段がが未だにインプットされているから。(これは私の仮説)

ふと、季節別日本人平均体重とかのデーターがあれば食欲の秋が裏付けられると思ってみたが、スポーツの秋ともいうので、当てになりそうもない。


M2 [雑感]

M2!いよいよ今日にもドラゴンズの優勝が決まる。
昨日の友人のブログはほとんどこの話題。(ただ一人を除けば)
正直なところ9月の時点ではファンとして応援し、期待はしていたもののこんな理想的な展開は思っても見なかった。今夜か明晩には美酒をいただけそうだ。

今この地域にいるからこそ周りの人たちとわいわいとやっているが、京都で過ごした学生時代は見渡す限り阪神巨人で、ドラゴンズ贔屓は私だけの孤独な存在だった。中日スポーツは大阪梅田まで行かないと手に入らない有様で、1982年近藤監督の時の優勝は周囲の阪神、巨人ファンを横目にひとり優勝の喜びに浸っていたのだ。

落合監督が中日で活躍していた現役時代、落合邸のすぐ近くに事務所があり、1,2度目撃したことがあるし、同じビルに入っていた絵本屋さんには時折奥様が子供を連れて来ていた事もあっていくらか親近感があるのだ。

なにはともあれ、落合監督の胴上げを目前にして心躍りながらスポーツ欄を読む今日この頃なのです。


首位奪取! [雑感]

最大10ゲームあった差をひっくり返して、ついにドラゴンズが昨日首位に立ちました!
あと12ゲーム、切に連覇を願う私なのであります。

ところで、昨日の大学にて、「龍」という名の付く学生がいたので、もしかしたらお父さんはドラゴンズファン?と聞くと、タイガースファンだと言う。本人も、お母さんも、おじいさんも、一家揃ってタイガースファンとの事。意外な答えに、少々ガクッとしてしまったが、タイガースファンとはいえ、その名にどうしても近親感を覚えてしまう。
話によると、本人とお母さんはお父さんの、お父さんはおじいさんの影響でタイガースファンになったとの話で、やはり家族の影響は強い。我が家も例に漏れず、私も兄も父の影響でというか、家庭環境で物心ついた時からドラファンであり、息子も同様。家族でともに喜び、ともに悲しむことができるのはありがたいことだ。

ところで、子供の教育上の話では、やたら説教するよりも、日常の家族の会話が一番子供に影響するとの事で、皆揃って食事を取りながら会話することが大変重要だそうだ。そんな意味でも、家の中でもダイニングは人格形成上大変重要な場所でもあり、設計上もポイントとなるのだろう。

ドラゴンズファンはダイニングで創られる。

・・・・・・ああ、これでドラファン以外からの設計依頼がなくなるかもしれない。

彼岸の中日 [雑感]

今日は秋分の日、彼岸の中日である。
昼と夜の時間が同じで今日を境に夜の時間が長くなり、季節も秋から冬へと移ろいでゆくのだ。

彼岸といえばお墓参りだが、祖先を偲ぶ時なのだが、こうゆう慣わしがあることはとても良いこと。ご先祖様に感謝する日なのだ。
彼岸というのは話によると浄土思想から来ているそうで、極楽浄土をさし、悟りの境地の世界であるとあった。

お彼岸にはおはぎをお供えするが、どうしておはぎかというと、この時期に萩の花が咲くことに由来しているそうだ。単純すぎて意外なくらいだけど、食べ物が行事とリンクしている文化はやはり良いなと思うのである。

酒飲みの私としては甘い物はあまり食べないが、ひとつくらいは食べねばなるまい。

家族修学旅行 [雑感]

昨日までの3日間、遅めの夏休みをとって家族で旅行をした。工程は広島平和記念公園→宮島→秋吉台・秋芳洞→萩→津和野→錦帯橋で、僕が高校の修学旅行で行った場所とほぼ重なっていて、今回は女房殿のリクエストにお応えしたものである。日本の歴史をめぐる旅みたいなもので、まさしく修学旅行。

それぞれの行き先では、それぞれの感動があったが、その中で特に印象に残ったものを紹介したいと思う。

2日目、秋芳洞からはぎに向かう道中の農村風景。
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平地に広がる田んぼのむこう、山の裾野にへばりつくように建てられた農家の家並はすべて赤い瓦である。石州=島根県石見国で生産されている独特の赤い瓦がこの農村の風景を作っていて感動的に美しかった。手前に広がる田んぼのじゅうたんと、山並みの緑の中に赤い瓦の家々の集まりが僕が住むこの地域で見られない風景だった。こんな風景がいつまでも残ってほしい。若い子供たちもきれいだなあ、とこの風景の美しさをわかってくれたのが嬉しかった。

もうひとつは、萩の町で訪れた浜崎地区の御船倉。萩は吉田松陰の松下村塾や城下町の街並みが有名だが、港近くには江戸時代、毛利藩の殿様の御用船を格納していた御船倉も保存されている。
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今は道路に面してはいるが、当時は川に面していていたそうだ。壁にあたる部分は石積みでその上に木組の屋根を架けてある。今は一艘分だけ残っているが、当時はこの倉が五つ連なっていたそうだ。石積みと木造屋根のハイブリット構造で、石組みの重厚感、量感と軽快な木造屋根の組み合わせがとても現代的。
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内部の小屋組みもきれいだった。海の波への耐力や水に対する耐久性、大スパンを飛ばすための木造屋根など、必然の結果としての構造だが、妙な装飾もなく、僕の好きな建築だった。

その土地で得られる素材で、必然から作られた建築は時代を超えていいのだ!ということを感じた旅行なのであった。

建築士定期講習会 [雑感]

三年前に改正された建築士法で義務づけられた建築士定期講習会に今日は来ている。あの耐震偽装事件で建築基準法とともに大きく改正されたために、資格取得後26年にして始めての講習で、朝からみっちり6限の講義とともに、最後には終了考査がある。久々の軟禁状態。学生の頃を思い出してしまうが、変わらないのはやはり睡魔との戦い。休憩時間は他の受講生とともに、机で短い睡眠をとってしまった。さすがに早弁はしない。

講習内容は法規関係と技術関係と倫理。これからまた3限の講習と終了考査。要するにちゃんと聞いていたかテストされる。

テストで所定の点数が取れないと、再度一日かけて講習を受けるハメになる。
果たしてテストの結果は如何に?

国王子息デザイナー [雑感]

物には、それが出来るまでの過程や、だれが作ったり発案したかなどの物語が物の魅力をいっそう引き立てることがあるが、ある物が国王の子息がデザインしたなら、それはそれで興味がある。

ある本に書いてあった話。
1907年生まれのシグヴァルト・ベルナドッテというデザイナーはスウェーデンの国王の息子だったが、当時の王室は他国の女性と結婚することは許されなかったため、ドイツとポーランドのハーフの女性と恋に落ちたベルナドッテは王位継承権を投げ出し、彼女と結婚し、民間人となってデザイナーとして生きた。そんな彼の生き方やロマンスが国民にとても慕われているそうだ。

皇室にいる時から、王立大学でデザインを学び、作品発表の活動をするなど、デザイナーとして活躍していて、幾つかのデザイン事務所に勤め、アメリカ旅行を通じ、スカンジナビアインダストリアルデザインのパイオニアになったそうだ。

この世に残した作品は、缶オープナーやミキシングボウル、タイプライター、シガレットライター、など生活用品を主に多数あり、晩年はフォークリフトなど重機なども手がけたとある。2002年、95歳でこの世を去った。

いい物を作り出すデザイナーは基本的にロマンチストで情熱家ではないかと思っていて、その人の生き方そのものから物に宿るという感がある。王位継承権よりも恋を選び、ものづくりに邁進するその生き方そのものが、彼のデザインに宿っていると思うのである。一度実物を手に取ってみたいものだ。


政治の世界は理解困難 [雑感]

昨日の内閣不信任議決。被災者のみならず日本国民の多くがこの国の政治って一体どうなっているのかと思ったはず。一刻も早く被災地復興をしなくてはならないときに与野党の権力闘争にこんな時間を費やし、政治家はいったい何を考えているのか、不信感がさらにつのってしまう。優秀な人たちが集まっているはずなのに、今優先すべきは何なのか、この非常時の最中、政権交代だ、選挙だなど言っている姿は到底正気の沙汰ではない。恐らく、永田町では国民の意思と乖離した何らかの力学があるように思われて仕方がない。

ただ、政治は民意の現れという話がある。今回のドタバタにしろ、前回の衆議院選挙で選ばれた人たちが行っていることであり、選挙民の代表として国会に送り込んだ人たちが行った事なのだ。選挙という形で国民の意思が国政に反映されているわが国のシステムなのだが、今回の事に対する民意の反応をどうやって政治に反映させればよいのか。テレビや新聞の論調も極めて批判的なのだが、それで与党野党に考えを改めさせることができるのか。永田町に向けてどでかいスピーカーでも作ってもらいたいくらいだ。

子供が瀕死の病気にかかっているときに夫婦喧嘩だ、家庭内崩壊だ言っているようなもので、こんなときくらい協力し合って被災地復興に政治家として全身全霊を傾けることは出来んのかね、と言いたくなってしまう。

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